板観&みゆきの 新春アートフェス対談 懐かしの昭和の映画看板は青梅市の財産

 新年おめでとうございます。昨年11月、第27回青梅宿アートフェスティバル(アートフェス)で「ありがとう映画看板」が盛大に開かれました。
 最後の映画看板師といわれる久保板観さん(76)とアートフェス第2代企画委員長で「ガチャ萬商會」店主の佐々木みゆきさん(59)は早くからアートフェスに参加し活躍されてきた功労者。年齢に17歳の開きはありますがお二人とも地元、本町の生まれ育ち。そこでに参加されたころと、これからのアートフェスについてお二人話を伺いたいと思います。まず板観さんからどうぞ。

久保板観 平成5~6(1993~94)年頃、アートフェスの初代企画委員長の横川秀利さん(現赤塚不二夫館長)に自宅へ呼ばれアコーディオンを弾いてレトロムードに一役買えというお話を受けた。そこで勝手に竹久夢二の「宵待ち草」の看板を描いてアコーディオンを弾いたのがアートフェスに参加したきっかけだった。そこで「エッ、絵も描けるのか」と皆に驚かれた。
佐々木みゆき 映画看板を描いていたことを誰も知らなかったのですか。
板観 横川さんも誰も知らなかった。映画の看板描きは、昔は日陰の仕事だった。
佐々木 私は表通りの半田屋菓子店の娘で、裏が映画館(青梅大映)だった。その横の小屋でおじさん(板観さん)が映画看板を描いていて、私は毎日のようにそこで遊んでいた。
板観 次の年に大河内伝次郎の股旅ものや山田五十鈴の「浪花エレジー」を描いた。マスコミが来て「これは素晴しい」と評判になり、いっぺんに名前が売れた。しかし看板ブームは2、3年で無くなるだろうと横川さんらと話して「その間にいっぱい町に飾ろう」と描けるだけ描いた。ところがブームは終わらなかった。2000年の「映画看板で銀幕街道」など現在まで200~300枚は描いたと思う。

 ―映画看板の誕生秘話が聞けました。佐々木さんの関わりはどうだったのですか。
佐々木 私は1988年に30歳で長女のなな子を出産し、95年に7歳になった娘のお祝いを母親と3人で住吉神社に着物を着て行ったら、ちょうどアートフェスの時で、やはり横川のおじさんから「着物姿だからちょうどよい」と言われて人力車に乗せられたのが始まりかな。
板観 その頃からかな。「昭和レトロ商品博物館」など、はっきり昭和レトロの青梅宿を打ち出したのは。
佐々木 2年後の97年に、その前から青梅夜具地と猫をコラボした作品を発表していて、アンテナショップを作ろうかなと考えていたところ、横川さんから「空き店舗があるからやるか」と誘われた。
「レトロ商品博物館」の隣に壁や柱がタイル張りの大正ロマンムードの空き店舗があり、そこを借りて猫と夜具地の「ガチャ萬商會」を開いた。もともとお祭り好きだったので「まねき猫サミット福猫祭り」で正式にアートフェスに参加した。
板観 アートフェスは商店街のにぎわいを取り戻す空き店舗対策で始まった。
佐々木 それからアートフェスと連動するかたちで先輩の伊藤哲夫さん、榎澤誠さん、マイナー堂の須崎八州冶さんらと「わいわい青梅」「手づくりいっぱい市」を、また若い仲間らと糸・布・織の「ORIC祭」などを中心に20年ほど町おこしのお手伝いをやってきた。

 ―お二人が町おこしに頑張ってこられたのがよくわかりました。で、アートフェスの今後についてどう考えますか。佐々木さんどうですか。
佐々木 横川初代企画委員長から二代目をやれと言われ力不足は承知しているが、外国からも映画看板を目当てに青梅に来てくれているのだから、町に掲げてある看板や残っている看板も含めて大型写真化して紙芝居式に取り替え可能なかたちで町の中に飾れないかなどを検討したい。
板観 私は正直、こんなに長くやって良かったのかなという反省もある。だが発表の場を与えてもらい、映画の看板で町おこしのお手伝いができて結果的に成功したし、それを受け入れてくれた地域の皆さんと青梅の土地柄に感謝している。
佐々木 映画看板だけでなく、商業看板やパロディー看板など雰囲気の違うものを町の中に混在させ、「カオス」というキーワードで色々なものが総合的に魅力をもつ現在のアートフェスを、そのまま発展させていきたい。若い人たちがもっと青梅へ入って来るようにしたい。
板観 私の映画看板を上手に使ってもらい若い人らが新しいことをやったほうがいいと思う。若い人には登竜門のつもりで、青梅で力試しをしてもらって羽ばたいていってほしい。

 ―板観さんのような絵を誰かに描いてもらい、町おこしを思っても、ああした絵を描ける人はなかなか出ないでしょう。日本で唯一の町おこしの形態ではないですか。板観さんの絵は青梅の貴重な財産だと思います。
板観 今、振り返ると昭和30年代後半の映画全盛期は青梅3館の看板を一人で受け持って、笑い話ではないが映画を見るヒマもなかった。(笑)

 ―昔はお正月といえば映画館は立ち見が出るほどいっぱいでした。お正月らしい板観さんの落ちが付いたところでお開きにしたいと思います。長時間ありがとうございました。(吉田)