故きを温ね新しきを知る 羽生謙五さん 本家は上羽生家 写真絵はがきや地図、観光パンフを収集

日の出町大久野の上羽生家が本家の羽生謙五さん(47)=町田市在住=は、西多摩の古い写真絵はがきや地図、観光パンフレットなどを収集している。絵はがきやパンフレットを観察すると、まちの成り立ちや当時の経済環境、生活ぶりなどが分かるという。将来のまちづくりに繋がるヒントがないかと考えている。

羽生さんは本家に伝わる資料を整理し、羽生家の歴史を残したいと思っている。整理を進める中で興味を持ったのが古い写真絵はがきや住宅地図、交通地図、観光パンフレットなど。骨董市、骨董品屋、古本屋などで買い求めたほか、インターネットオークションも利用し、集めてきた。

中学生になったころ本家の蔵を覗くようになった。先代の卓史さんの実弟で父親の丕さんから湿度や動物などが入らないようにするなど管理上の注意を受け、蔵に入っては資料を見るようになった。

羽生家は北条氏直の家来で、平山姓を名乗ってきた。だが、豊臣秀吉に攻められて敗れ、地名の羽生を名乗るようになったことなどルーツ探しに興味を持った。資料の中には領収書や手紙、チラシなど生活に密着したものもあった。

「中央線の前身となる甲武鉄道の乗車券、今でいう株主優待券や吉川英治の手紙などもあった。観光パンフレットや地図からは大久野のセメント工場が社会科見学の場になっていたこと、檜原村にスキー場、御岳にスケート場があったことなどが事実として確認できます」と羽生さん。

広げてくれた五王自動車と立川バスが共同で作った観光地図入りの路線バス図には、檜原村小岩辺りの山に浅間台スキー場と確かに書かれている。

昭和初期に五日市鉄道が作った観光パンフレットには秋川渓谷を南奥多摩渓谷と表記したものがある。羽生さんは「当時、都心の人は秋川流域も奥多摩との認識しかなかった。南奥多摩とした方が人を呼べるということ。千葉にあっても東京ディズニーランドと呼ぶのと一緒です」とほほ笑んだ。

「昔は大久野から日の出山を経た登山道が御岳山の表参道だったことが分かる地図もあるんですよ」。今後は整理、分類を進めてデジタルミュージアムとして公開できたらいいとも思っている。(岡村)