戦時中、供出の鐘75年ぶり返還 あきる野広徳寺から文京区の寺へ

お別れ会で、返還する鐘を突く正倫住職

戦後、約75年間、あきる野市小和田の臨済宗広徳寺(水口正倫住職)にあった鐘が14日、元の所有者の善心寺(文京区)に返還された。しみじみとした良い音を響かせる鐘で、多くの檀家に惜しまれながら帰郷した。(伊藤)

両寺の鐘を含め、全国の寺社にあった鐘の多くは、太平洋戦争中、軍に供出され鋳つぶされた。戦後、都内では東京仏教団が溶解を免れた54個の鐘の行き先を募り、抽選に当たった広徳寺に善心寺の鐘がめぐってきた。

鐘に刻まれた「南無妙法蓮華経」の文字から持ち主の善心寺が法華宗の寺であることや、安永5(1776)年の鋳造年なども分かった。

広徳寺では先代の玄州住職の時代から、善心寺に鐘の返還を持ちかけてきたが、諸事情が重なり実現しなかった。2008年、鐘楼の修理に合わせて鐘を新たに架け替えたため、古い鐘は広徳寺の本堂正面横に安置され、その後も多くの人の目に触れることとなった。

このほど世話人の天野正昭さんの骨折りで返還がかなった。当日、世話人が主催した「お別れ会」は、世帯数100余りの集落で約60人が出席する盛会となった。

お別れ会で正倫住職は異なる宗派の鐘が同寺にたどりついた経緯に触れ、「つい先日も観光客から『南無妙法蓮華経』と書かれた鐘がなぜ臨済宗の寺にあるのか?と聞かれたばかり。戦争の痛ましい傷跡を伝える貴重な梵鐘だ。戦後75年、広徳寺にあり、寺の歴史を伝えるものでもあった。感謝を込めて皆さんとご一緒に見送りたい」とあいさつ。出席者全員が1人1回ずつ鐘を突き、愛着のある音色を心に刻んだ。

鐘を引き渡した正倫住職(左)と受け取った鈴木達明住職

鐘はその後、トラックで善心寺に届けられた。同寺は1848年の火災で本堂や書院を含む多くを焼失しており、戻った鐘が寺に伝わる最も古い現存物となる。

引き渡しに同行した天野さんは「善心寺のご住職が広い心で受け入れてくださった」と喜んだ。