北京パラで銅2つ チェアスキー森井選手
あきる野市在住のアルペンスキー選手、森井大輝さん(41、トヨタ自動車)が金メダルを目指して6度目の出場となる北京パラリンピック大会(3月4日〜13日)に挑み、高速系競技の滑降とスーパー大回転(いずれも座位)で2つの銅メダルを獲得した。悲願の「金」はかなわなかったが、パラ大会でのメダルは通算7つ(銀4、銅3)に増え、5大会連続のメダル獲得は日本人初。帰国後の森井さんに結果の受け止めや今後の選手人生について聞いた。(伊藤)
——「銅」2つの結果。率直な感想は。
この状況、この環境下でメダルを取れたことはうれしいし、誇らしい。やり切った感はある。ただ、僕自身が目指してきたメダルとは違う色なので、やはり悔しい。コロナ禍で2シーズン、納得のいくトレーニングができなかった。感染リスクを減らすため練習も国内がメイン。パラリンピックのコースに関して事前情報が全くない中で、強化拠点の長野県で実践を重ねてきたが、本番のコースは斜度、雪の硬さ、難易度すべてが自分たちの練習のレベルを超えていた。苦しい大会だった。
——確かに、テレビで観戦する側にもコースの怖さが伝わってきた。
ダウンヒル(滑降)は、スタートから2つめのターンまでは崖(のような斜度)だった。速度の次元もまるで違い、ずっと時速100㌔超。レース前、スタートからゴールまでを頭の中でイメージするのだが、速度領域や斜面の変化にイメージが追い付かず、ゴールできなかった。それでも何とか滑り切ったが、これまで経験したパラ大会の中で間違いなく一番難しいコースだった。
——技術系の競技はどうだったか。
大回転も難しいコースだった。日本チームは旗門と旗門の間隔を27㍍で練習していたが、実際のコースは22㍍間隔。練習よりも細かいターンに変えなければならなかった。
——豊富な経験があったから難コースにも対応できたのか。
経験豊富だと思っていたが苦戦し、鼻っ柱を折られた思いもある。もっともっと練習しないと。できることなら今すぐ雪上に戻りたい。
——大会前、「速く滑るために試してみたいことが無くなった時が引退の時」と話していた。4年後を目指すのか。
目指す。試したいことはたくさんあるし、まだ速くなれる自信がある。パラリンピックで初めてメダルを取ったのが2006年のイタリア・トリノ大会。次の26年の大会もイタリア開催。イタリアには思い入れがある。
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