絹織物「黒八丈」を復活 森縫合糸製造所 森博さん あきる野市伊奈 受け継ぐことが恩返しに
日本で唯一稼働する「張り撚り式八丁撚糸機」で絹糸を生産する創業79年の森縫合糸製造所(あきる野市伊奈)を営むのは3代目森博さん(72)。先代までは手術用縫合糸を専門に生産していたが、現在は織職人や組紐職人から注文を受け、それぞれに適した太さや強さに糸を撚り分け、絹糸を生産する。
森さんは糸の生産だけでなく、秋川流域で江戸中期から大正にかけて農閑期に織られていた絹織物「黒八丈」を30年ほど前に復活させた。「五日市」とも呼ばれる黒八丈は江戸時代の粋な女性に好まれた。
黒八丈を織る絹糸は、ヤシャブシの実を煮出した染料で染め、鉄分を多く含む泥で媒染することから「泥染め」と言われる技法を用いる。何度も染めを繰り返した糸を、織匠に織り上げてもらうことで、吸い込まれるような黒が独特の光沢感を放つ反物となる。深く染めない淡いベージュにも深みがあり、森さんは濃淡を染め分け、現代の人が手に取りやすいようストールやバック、衣服の製品を企画し販売する。
森さんは大学卒業後、都心でサラリーマンとして働いていたが、20歳で地方転勤を言い渡された翌日、辞表を提出し家業を継ぐことに。父と共に、縫合糸の生産を始めるが、どこかで新しいことを始めたいと思っていた。
偶然手に取った「五日市町史」に黒八丈の史実が記されていた。家業である絹糸製造業と深い関わりがあることを知り、昭和初期に途絶えた地元の文化を復活させたいと研究を始めた。だが、工法についてはどこにも記されていない。頼れる師もいない。ただヤシャブシの実で染め、泥で媒染するということだけは分かった。
ヤシャブシの実を拾い染めてみるがうまくいかない。鉄分が多いように見える赤い土を使っても発色しない。ヤシャブシの実がまだ青いうちに収穫し乾燥させることで、色素が残り良い染料となること、赤い土ではなく、水中で堆積した土、地層で圧縮された土が媒染に適していることが、失敗を繰り返すうちに分かった。
40歳になる頃、ようやく求めていた色に近づいたが製品にできたのはコースターのような小さな物だけ。「こんなことを続けても本当に反物を作れるのかと不安だった」と当時を振り返るが、「泥染めは我慢して続けるしかない。経験からヤシャブシや泥の成分への理解が深まることはある。だが思うような色を出すには、諦めず続けることだ」と話す。
30年以上、日本で数少ない撚糸業を守りながらも、黒八丈を昔ながらの製法で作り続けている。70歳を過ぎた今でも秋川で糸を洗う。
「文化を途絶えさせてしはならない。細くでも続けていくことが必要だ。後継者を育てることも自分の役目」と五日市の貴重な財産を残すことが地域への恩返しにつながると語った。(鋤柄)