【紙上祝賀会】祝 創業200年インタビュー 「嘉泉」の田村酒造場(福生市)

200年をつなぐ者
16代目田村半十郎、地域とともに

 文政5(1822)年に福生市で酒造りを始めた田村酒造場は今年、創業200年を迎えた。節目の年に当主を務めるのが、16代目田村半十郎(63)。これまで同様「丁寧に造って 丁寧に売る」の家訓を守りつつ、これからは「観光」「海外」「インバウンド」をテーマに新たな100年を拓いていく。福生を代表する旧家、事業家として先祖代々、地域に貢献してきたDNAが自分にも流れているとの思いは強く、家業の継続とともに地域の発展に力を尽くしていきたいという。(伊藤)

——家業を継ぐ意識はいつから。

 生まれた時から。そういうものとして育てられたし、自覚もしていた。例えばうちで大人の宴会がある時は祖父に呼ばれ、「これが孫です」と紹介され、お酌もさせられた。窮屈な部分もあったが、年を重ねて自分がどうふるまえばいいのかわかってきて、自然の形でできるようになった。今は繕う部分が全くなく、しっくりきている。

——家を語る時、縦糸と横糸の話をよくされる。

 縦糸は時代によらず家として守っていかなければならない部分、横糸はその時代を生きる者たちが時代に合わせてさしていくオリジナルの部分。私でいえば「丁寧に造って 丁寧に売る」の縦糸に、私なりの横糸をさしていくということ。

観光、海外、インバウンド対応

——半十郎さんの横糸とは。

 観光、海外、インバウンド、この3つと絡めた取り組みは、これから私がやるべきこと。海外の日本文化、日本食ブームのお供として、日本酒も波に乗っていける可能性がある。自分の父親のころは良い酒を造りさえすれば売れる時代だったが、今後はそれだけでは立ち行かなくなる。若い人の日本酒離れ、コロナ禍など日本酒業界は厳しい状況が続いているが、海の向こうに光が見えるというのは大きな希望だ。

——和食文化をよりディープに楽しんでもらう酒として、2020年に純米吟醸『本まぐろ』を発売した。

 和食、特に魚料理に合う酒ということで、まず辛い酒、そして料理の味を邪魔しないよう香りを抑えた造りにした。米を50%まで磨いて濃醇な味わいに。海外の方に対しても「インパクトのある名前を」と考え『本まぐろ』とした。

——商品の出来は。

 出来上がるまでに、とにかくマグロをたくさん食べた(笑)。鮨や刺身との相性はとてもいいと思う。発売してすぐ新型コロナが流行したのであまり知られていないが、これからPRしていきたい。

創業以来初の蔵開き 11月開催予定

——海外の方に向けての具体策は。

 これから考える部分もあるが、例えば以前は酒蔵に見学者を入れていなかった。今は(予約制で)受け入れている。観光、海外、インバウンドを考えると、田村酒造場の存在を知ってもらう必要がある。今年11月には創業以来初めての蔵開きを、小規模だが開催する。今後の100年に向け、大きな変化の年になる。

——酒蔵がある。それだけで街のイメージアップにつながる。

 淡々とやってきただけだが、皆さんそう言ってくださる。この環境を良しとしているということ。であればそれを守る責務が私にはある。この環境を守っていくことは一つの社会貢献にもなるということ。

商品が陳列された蔵内のショップ
商品が陳列された蔵内のショップ

——つまり、酒造業は単なる家業ではなく地域とともにあるものだと思う。

 歴史をさかのぼると、祖先が地域を作ってきたといえる。福生村の時代に学校や病院を作り、遠方から先生を呼んできた。青梅鉄道を作った一人も祖先だ。地域を上昇させるため、一流にするため、自分の経済的利益ではない部分で地域に尽くした。そのDNAが私にも流れていなければいけない。家業の発展とともに、地域の中できちんと自分の役割を果たす義務を強く感じる。

——地域の中での役割といえば、福生市観光協会の会長も務めている。

 観光面では広域連携を進めていきたい。福生の住民が羽村の堰や二宮のしょうが祭り(あきる野市)を知らないのは残念なこと。自分の住むまちだけでなく近隣地域の良さを認識することで西多摩に暮らす誇りや愛着がわき、生きていく力につながると思う。

——地域を背負い、家業をつないで200年。気負いはないか。

 200年は確かに節目の年ではあるが、この先まだ300年もやってくる。地域を引っ張ると同時に、皆さんと同じ地域の一員なんだという謙虚な気持ちを大切に、自然体で次の時代を作っていきたい。

——ありがとうございました。

*田村酒造場の歴史や酒造りのこだわりは同社のウェブサイトに詳しく掲載されている。