福生 石川酒造、ワイン製造に着手【連載1】

文・石川彌八郎(石川酒造株式会社代表取締役 蔵元)、ブルースハーモニカ奏者
文・石川彌八郎(石川酒造株式会社代表取締役 蔵元)、ブルースハーモニカ奏者

 僕がアルコール業界に身を置いて、30年以上が経過した。入社当時の石川酒造は、日本酒の製造しかしておらず、それを瓶詰めしてトラックに積み、問屋さんや酒屋さんに出荷する商売であった。

 その後、1998年にビール醸造を再開。敷地内にレストランや売店を置くようになり、営業の形態も徐々に変化してきた。現在では、リキュールやスピリッツの製造免許も付与され、梅酒なども製造するようになった。この30年で随分と変わったものだ。

 10年前に他界した父は、そこまでは知っていた。しかし、その後、「大多摩ハム」を関連会社におき、さらに昨年は敷地内に宿泊施設「酒坊 多満自慢」を誘致することにより石川酒造が「食べて、飲んで、泊まれて、そして時々聴ける酒蔵」になったことは知らない。今頃あの世で随分と驚いていることであろう。 

 この連載を父が読んだら、さらに驚くことであろう。なにしろワイン醸造も手掛けることになったのだから。

 石川酒造は98年の福生のビール小屋の開店以来、「酒飲みのテーマパーク」を目指してきた。だが、それにしては日本酒とビールしか造っていない。さらにワインぐらいなければ「テーマパーク」とは言えないだろうという思いは常々抱いていた。これで「酒飲みのテーマパーク」も一歩前進したのである。

 さて、この11月に果実酒(ワイン)の製造免許を得た。タンクの中には現在、白ワインが300㍑、赤ワインが1000㍑(山幸500を含めると1800㍑)眠っている。出荷は12月の予定だ。

 そのワインを僕が仕込んだのは、実は昨年の秋のことである。「ちょっと待て!免許が下りる前に製造したら違反ではないか。フライングだろ!」もちろん、免許取得前に石川酒造でワインを造ったら酒税法上重大な問題だ。最悪の場合は清酒、ビールなどの製造免許も取り消しとなり、廃業の危機に陥る。では、どうやって問題なく、合法的にワインを仕込んだのであろうか。

 その秘密は次回お伝えします。来週号をお楽しみに。

*今号から毎週、全4話をお届けします。