Weekly News 西の風

東京西部 西多摩8市町村の地域紙 タブロイド版/毎週木曜発行

初代社長、あきる野市誕生導く 西の風新聞社会長 橋本健司

2026年4月10日

 西の風新聞は1988年11月4日に創刊しました。創業社長で現会長の橋本健司に創刊の経緯や草創期のあゆみについて聞きました。

――新聞創刊の目的や理念を聞かせてください。

いちばんの目的・理念は、当時秋川、五日市、日の出、檜原の4市町村で構成していた秋川流域の合併でした。自治体を広域化することで行財政基盤を強化し、地方分権を進めるべきだという考えから、新聞を通じて秋川流域の一体性をうたい、地域合併の機運を高める狙いがあった。私は、秋川ロータリークラブの仲間で創業時の専務、藤澤昌一さん(故人)の誘いで発起人に加わり、「社長は地元の人がいい」という藤澤さんの方針に沿って初代社長を務めました。

――創刊に向け資金や読者をどのように募りましたか。

1口5万円の株券を発行して出資金を募りました。私はロータリーメンバーを中心に協力を呼びかけ、藤澤さんは一般の人にも声をかけたようです。119人の株主を集めました。

創刊号を前に準備号を発行し、秋川流域の2万7000世帯に全戸配布して購読を呼びかけました。

――草創期、印象に残っていることは。

新聞づくりは専務の藤澤さんに任せ、私は経営を見ていましたが、記事のクレーム電話は直接私に来る。初期には議員の取り組み姿勢をただす内容のコラムが当事者の反発を買い、不買運動にまで発展しそうになったことも。そこで地元の私が苦情先を訪ねると事態が収まって…藤澤さんが「地元の人間を社長に」と言った理由を理解しました。中野生まれ、昭島育ちの藤澤さんでは収拾のつかないこともあったと思います。

――「西の風」の座談会で秋川市と五日市町の合併が決まったと聞いています。

はい。創刊から3年後の1991年11月末にあった新春座談会の取材時に決まりました。新春座談会は創刊2年目から各首長を招いて1年の抱負を語り合う流れになっていましたが、この年は日の出町、檜原村は都合がつかず、代わりに秋川、五日市の商工会長を招き、臼井孝市長、田中雅夫町長の4人による座談会になりました。

取材後のオフレコの席で私が両首長に合併を持ちかけると、すかさず臼井市長が「合併しよう。秋川市が嫁に行く」と応じ、田中町長も合意。

間もなく合併に向けた協議会が発足し、1995年にあきる野市誕生が実現。平成の大合併が始まる4年も前のことでした。

――比較的初期に創刊の目的を達成しました。その後のあゆみは。

創刊10年後に専務だった藤澤さんが社長を継ぎ、私は会長に。そろそろ二人で会社の今後を話し合おうと、2020年11月4日の午後3時に藤澤さんと会う約束をしました。ところが約束の日の朝、藤澤さんは脳出血で亡くなってしまいました。現場も経営も藤澤さんに任せていて、確認したいこともあったのですが、聞けずじまいです。

――藤澤前社長の急逝後、再度社長に就きましたが、数カ月後に現場の社員を社長に指名しています。

藤澤さんとともに「西の風」を立ち上げた責任が自分にあると思い、一旦は社長を引き受けました。とにかく急に亡くなったので。

養鶏、焼肉店、スーパーマーケットなど、これまでいろんな事業を手がけてきました。全て自分で現場を体験し、経営につなげてきました。ところが、文章を書くのは苦手な方で新聞づくりだけは現場がわからない。経営は現場の人間がやるべきだと思い、社員の一人に声をかけ、社長を継いでもらいました。

――今後の「西の風」に望むことはありますか。

みんながやる気を持って働けて、地域の人に喜んでもらえる新聞を続けていければ。他に望むことはありません。

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