小学校教員を経て講談師に 青梅市の菊地玉雲さん 毎月25日は寄席イベント開催

 青梅市天ヶ瀬町の講談師、菊地玉雲さんは、寄席「廿五日は講談の日」を毎月25日にネッツたまぐーセンター(同市上町)で開いている。小学校教員を経て講談師を志したのは64歳の頃。それまでも何かに夢中で生きてきた。今は講談が生きがい。半生を振り返り、「菊地玉雲物語」を聞かせてもらった。(鋤柄)

 1952年、愛知県生まれ。地元の教育大学を卒業後、上京。教員にはならず、アルバイトで生計を立てた。20種ほどのアルバイトをする中で8歳年上の男性と出会い15分で恋に落ち、24歳で結婚。その後、板橋区で小学校教員として働き始めた。

 この頃始めたのが夫の征一さんの趣味だった自転車レース。競技人口が少なかったこともあり、1984年のロス五輪では候補選手に名前が上がった。教員との二足のわらじは難しいと競技からは遠のく。

 88年からは三宅島の小学校に異動。島で4年間生活した。文京区の小学校に戻るが、自然豊かな場所で教育に携わりたいと、自転車で度々訪れていた青梅市の学校への異動を希望。同市立第五小学校(同市梅郷)に配属され、転居した。2006年から福生市立第三小学校(同市牛浜)に勤め、57歳で教員生活を終えた。

 64歳、偶然見かけた「広報おうめ」で講談講座を知った。歴史小説が好きだったこともあり受講を決め、約9カ月間、若林鶴雲さんから指導を受けた。終了発表会で講談を初めて披露し、面白さに目覚めた。

 19年4月に禅林寺(羽村市羽東)で開かれた中里介山忌で講談師、菊地玉雲として「玉川上水物語」を演じデビューを飾った。その後、中里介山の「大菩薩峠」を宗禅寺(羽村市川崎)で毎年披露している。昨年7月にはコロナ禍でなかなか外出できない人たちを楽しませたいと「廿五日は講談の日」を企画した。

 今年は、敬愛する吉川英治の「宮本武蔵」を披露したいという。「数年前までまったく無縁だったが、声だけで人を楽しませられる講談は奥深く、今では生きがいになっている。声が出る限りは続けたい」と語った。