社長 伊藤 寛子(いとう ちかこ)
2006年入社 津田塾大学国際関係学部、大分県佐伯市出身 あきる野市在住
「西の風」との出会い
結婚前、あきる野市で一人暮らしをしていた現在の夫の家に遊びに来て、「西の風」を知りました。テーブルの上に無造作に置かれた新聞を開いてみると、初めて見る紙面なのにどこか懐かしく、くつろいだ気分になったのをよく覚えています。のどかな地域性が紙面からにじみ出ていたのだと思います。
前職の出版社(農文協)を退職して結婚後、次の仕事を探していた時にたまたま「西の風」に載っていた求人広告が目に留まり応募。あきる野市内にあった故・藤澤昌一前社長の別会社で藤澤社長、当時の編集長と面接し、試用が決まりました。
当時はあきる野に移り住んだばかりで土地勘が乏しく、今のようにスマホのナビも充実していなかったので、取材先で地元の人に教わったり紙の地図を見たりしながら必死で道を覚えました。取材を通して地域を知るほどに愛着が深まり、もっと知りたい気持ちが強まって「ここで働こう」と決めました。
社員から社長へ
入社14年目の11月、「西の風」の創業者の一人で当時社長だった藤澤が急逝。私は編集長でしたが、前任者から引き継いで間もない時期でもあり、大海原に投げ出されたような心持ちでした。
当面はもう一人の創業者で会長の橋本健司が社長を兼務していましたが、2021年の正月明けに突然私を呼び出し、「社長をやってくれるか」と。「新聞づくりの現場感がない自分が社長を続けても会社は伸びない。現場を仕切るあなたがやりなさい。引き受けなければ廃業する」と告げられ、即座に腹をくくりました。
結婚を機に知らない土地に移り住んだ私に、西多摩の良さやこの地で暮らす楽しみを教えてくれたのは「西の風」の取材で出会った地域の人たちでした。お世話になった方々に自分が返せるものがあるとすれば、それは「西の風」を続けること。自分が社長をやるしかないと思いました。
「西の風」と私のこれから
西多摩には有料の地域紙が2紙あります。文字離れ、紙離れが急速に進む時代に地域紙が2紙も存続しているなんて…非常に珍しい地域ではないでしょうか。それだけ地域に関心のある人がいる魅力的な土地だと受け止めています。
この地に暮らす人たちが日々、何を考え、どんなことに幸せを感じ、何を生きがいとしているのか。地域で活動する人の思いや考え、その価値を伝えることが「西の風」の役割です。
エリア外の人にも西多摩の価値を知ってもらうツールとしてウェブに抜粋記事を掲載していますが、ネットでは拾えない地域の深い情報が得られるのは紙媒体のほう。登場人物や書き手の体温が伝わる紙面づくりを心がけ、毎週読者の皆さんにお手紙を送るようなつもりで新聞をお届けしています。
住んでみたい
働いてみたい
遊びに行きたい



